簡単プラセンタ注射解説ガイド
はじめに「異常ともいえる健康ブームのなかで、現代人の健康観を問い直してみたいのだが」岩波書店新書編集部からこんなお話をいただいたのは、二〇〇〇年の秋も深まったころだった。
私自身も十五年余の医学・医療取材のなかで、ぜひ取り上げてみたいと考えていたテーマだった。
短期取材ということで、健康ブームの現状と背景の分析に加え、現代人の健康観を色濃く映す「薬大好き」「飽食」「睡眠」などを加えた七本の柱を立て、インタビュー(対談)形式で構成した。
ご登場願ったのは、日ごろご指導をいただいたり、お世話になっている方々である。
気心が知れていることが、突っ込んだ本音の話につながったと思っている。
それにしても昨今の「ブーム」は、いきすぎの感が強い。
健康とは、何かやりたいことのために、あるいは充実したときを送るために必要なもののひとつだ。
いや、たとえ病んでいても充実した人生があるのだが、健康そのものが目的化・目標化してしまう。
「健康のためならば死んでもいい」という、笑えない冗談すらあるのだ。
ニーズや価値観が多様化したことは、決して悪いことではない。
だが、安易でいいかげんな健康情報が流れ、市場に巧みで怪しげな商売も入り込み、それに振り回される。
衣食足りて現代社会の闇は深い。
筆者の力不足もあるが、お読みいただいた皆さまが、ご自身の健康観を見つめ直し、健康ブームをあらためて問い直すきっかけになれば幸いである。
空前の健康ブームのなかで、新しい世紀がスタートした。
健康観は大きく揺れ、あふれる医療情報や商魂がそれに拍車をかける。
健康とは何か、なぜ大切なのか。
私たちは今、立ち止まって、じっくりと自らの健康観を問い直す必要に迫られているのではないだろうか。「健康は目標ではなく、生き方のなか、プロセス(過程)にある」とする。
四半世紀にわたり、一貫して地域にこだわり、住民の健康、生と死を見つめ続けてきた先生を長野県茅野市の病院に訪ねた。
まやかしの健康ブーム「健康でなければならない」といった風潮、流れが強まっています。
私たち現代人は、健康に対してなぜこのような意識を持つようになったのでしょうか。
こうした傾向をどう思われますか。
健康を必要以上に重要視しすぎてきたためではないですか。
その一番の確信犯は、ぼくたち医療従事者だったのではないか……という気がするのです。
健康でい続けるためには、病気を早期に発見すべきとされていました。
早期発見のためには検診が必要になります。
このため健康診断を、地域のなかでずいぶん重要視してきました。
ぼくは、二十六年間ずっと(長野県茅野市を中心にした)この小さな地域で地域医療という形にこだわって過ごしてきました。
保健婦さんも交えて、地域のヘルス・ボランティアの保健補導員と「健康づくり運動」にも取り組みました。
健康診断からスタートしたのですが、みなさん当初は、血圧や肝機能のGOT・GPTの値、コレステロール値にこだわったり、一喜一憂したりしていました。
しかし、途中から大きな変化が生まれました。
健康診断を受けた後で、肥満の人とか、ちょっと太りぎみの人、高脂血症などの人たちが、日常の生活を見直して、自発的に「歩け歩け運動」を始めました。
検査の値にこだわるよりも、運動をすること、からだを動かすことの重要性を自覚するようになったからです。
一年ぐらいの間に、多くのグループが一時的に取り組み、そして多くは途中でやめていきました。
しかし、あるヘルス・ボランティアのグループは、そのままずっと十五年間も歩け歩け運動を続けているのです。
さらに、そのグループの人たちだけでなく、「自分も」と言って、おじさん、おじいさんたちも畦道を歩くようになりました。
幼稚園児のように隊列を組んで歩いているわけではなく、数人ずつのグループが、思い思いに歩いているのです。
地域のなかでひとつの成果が見えてきたという感じですね。
そのように思います。
健康になるためには○○健康法がいい、驚異の〇〇、〇〇でみるみる治る……という、一点だけを選んだ、非常に短絡した手法がとりざたされています。
しかし、こうしたものは大きな影響力を持ちえないでしょう。
地域に根ざし長い目で見て分かってきたのは、毎日の暮らしのなかで、暮らし方を変えていくことの大切さです。
日々の生活のなかの一つひとつの動作のなかに、健康のヒントはあるのではないかということに気がついたのです。
検査の数値だけで健康・不健康を判断する医療者、健康ブームをあおるマスコミ、誇大宣伝をして〝薬品と食品の間″で法の規制を縫って「もの」を売っている人たちも、大事なことを取り違えています。
十年、二十年という単位で健康づくりをする過程に「健康というもの」が存在するのであって、健康という最終の舞台があるのではないという気がするのです。
そのプロセスが大切なのです。
いまの健康ブームは非常にまやかしではないでしょうか。
~まやかしがでてくる根っこは、どこにあるのでしょう。
こうした風潮を生む背景は、現代社会のなかに潜んではいませんか。
健康そのものが目標になってしまったことに大きな問題があります。
健康は目標ではなくて手段です。
健康という手段を利用して生きがいのある生活をしたい、あるいは希望に向かって生きていきたい。
そういうなかで、健康というものが役に立つのに、健康を目指してしまっているのです。
現代人は大きな落とし穴にはまっています。
テレビや一部の健康雑誌が、「その目標・目的」をいとも簡単にかなえてくれそうなセンセーショナルな情報を流しています。
ことに、健康番組のショー化は論議があります。
みるみる治るとか、これさえ食べていれば大丈夫だ―といったものは、まさに努力する、手をかけるプロセスを省いた安易なもので、今日的な性急きを感じさせます。
また、健康情報が多すぎて、私たちはあふれる情報に振り回されて軽いパニックに陥っているのではないでしょうか。
マスコミもそうですし、ぼくたち医療者もそうなのですが、健康をパターン化して見ようとしているのです。
ワンパターンの、いいイメージのモデルをみんなが描いている。
いいモデルというのはカッコ付きの「いいモデル」であって、決していいわけではないのです。
それは表面上、元気そうに見える状態そのものをひとつのモデルに考えているのですが、例えば元気そうだった人が、くも膜下出血で倒れて病院に運ばれてくる。
よく調べると以前から脳動脈癌があった。
脳動脈癌が破裂する(くも膜下出血で倒れる)までは、とても健康そうに見えるわけです。
どんな人も、ひとつ前のところへ立ち戻ってみれば、元気そうに見えたり健康そうに見えたとしても、いろいろな〝病気〟を持っているわけです。
しかし、健康そうな人は、「自分は健康だ」と思い込みます。
一方で、障害があって車椅子を使っている人、脳卒中の後遺症で足を引きずっている人を外見だけで判断して、「障害があれば健康ではない」というイメージを持ちます。
よく考えてみれば、脳卒中のために足が不自由でも健康というのは本来あるはずです。
健康は、意識や生き方の問題でもあるのです。
障害を持っていても健康というものがあるとか、死が間近に迫っているけれども健康はありえる、ということを考えなくなってしまったなかに、落とし穴があるのです。
健康というのは、もっともっと多様なものです。
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